政経―4:政経関連追悼文特集

【政経主張―第4回】2015年追悼特集


(1)リー・クアンユー(英語: Lee Kuan Yew, 中国語: 李光耀、1923年9月16日~2015年3月23日)の国葬に当たってTwitterで追悼の意を表明。
 
【本文】To Singaporean.
Please accept my heartfelt condolences. I was distressed to learn of Lee Kuan Yew, father of your country.

From 浜田隆政(Takamasa Hamada)

※Lee元首相の思い出は以下、【解説―1】参照。

 


 

【2015年追悼特集の解説】

  • 【解説―1】シンガポール・リー・クアンユー(Lee Kuan Yew)元首相への追悼文を、2015年3月29日のTwitter15-053-1に記した。
  • 同首相の思い出をTwitterより記載する。
  • Twitter 15-052-5.金持ちと貧乏人で差があったり、人種・民族で差があったりするのは誤りである。それはときには国家の危機を招くであろう。
    リー・クアンユー元首相が、シンガポールの資源は国民・教育であると取り組んだことは有名である。
  • 15-052-6.私が最初に訪問した外国。それはシンガポールであった。
    1989年8月である。理由はゴミがない国と聞いたからである。同国については、「旅に心を求めて―Singapore is cosmopolitanに想う」と「生命への畏敬・戦争の足跡」の両作品を作成している。(以上、2015年3月29日記述)
  • ※同上の「旅に心を求めて―教材編」15章でシンガポールを取り上げた。後に、国民の道徳観で苦言を一部呈した。しかし、シンガーポールはそれを忌避(きひ)せずに、正面から取り組んでくれた。ただし、同上書に記した民族問題の方の進捗(しんちょく)状況は知らない。私がシンガポールを訪れたときの首相がリー・クアンユー(Lee Kuan Yew)氏であった。1989年8月のことである。(同氏の首相在任期間が1959年6月3日 - 1990年11月28日である。)
  •  シンガポールに行った頃はまだカメラを開始していなかった。コンパクトカメラで写しただけである。再度、シンガポールにも再撮影に行きたいのは山々なれども、資金不足で、作品関連の優先順位から、予算が組めない状態にある。私の仕事(著述業)が軌道にのれば、必ず、シンガポールを再訪するであろう。可能ならば、当時、知り合いになったインド系青年とも再会したいものである。彼ももう四十代半ばか後半になっているであろう。シンガポールには、ハイアットリージェンシーホテルを拠点に八日間いた。そして、主として文献ばかりを買いあさった。本の郵送費代のみで三万円近くかかった。段ボール三つ分程度の大きさである。文献・資料代は全部で二十万円近くかかったのを覚えている。
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