政経―8:教育改革・私案

【政経主張―第8回】教育改革・浜田私案


【浜田私案】

 一・国立大学と私立大学の学生への国庫補助率は同一とする。国庫補助金は原則として学校ではなく大学進学希望者本人に契約の下で手渡す。例外は大学附属研究所や、授業ではなく研究に専念するための費用を一定の条件の下で大学に直(じか)に国庫補助するが、この部分は相対的に大きくはしない。大学は、学生を獲得した分だけ国庫補助金が増大する仕組みとし、学校間の競争をあおると同時に学生に消費者意識を持たす。

 二・大学独自の奨学金を除いて、奨学金は廃止も含めて抜本的検討をし、その代わりに生活費と学費を全て満たすことが可能な国営の本格的な教育ローン制度を設定する。リストラなどで返還不可能な事態に対しては、後に述べる教育・災害ボランティアとして賦役(ふえき)で返納をせまる。そこで連帯保証人制度は廃止する。

 三・既(すで)にみた岡短の教育現象の如(ごと)く、権益志向型学校教育の弊害が生まれるのを防ぐため、全国一律統一卒業試験を実施し、それに合格しない限り、学士号を授与しない。
 大学入試は各学校の自由としても、卒業は大学生として学ぶ最低限の課題を達成しているかどうかを全国統一の最低基準テストで判定する。ただし、卒論などの一部は学校の自由裁量(さいりょう)に委ねる。
 要するに、入口の難易度は原則として問わず、出口の難易度を一定基準とする。なお、この統一試験では学科のみならず、国民から受け取った税に対して、学生が社会に出て社会貢献をする態度が養われているかどうかも加味(かみ)し判定する。例えば、学生時代のボランティア活動類を卒業試験時に点数として加算するなど。



 上記一と二の費用問題に関して以下解説をする。

 具体的なローンと国庫補助額の数値は年度により異なるが、基本的には大学授業料・入学金・施設拡充費部分+学生の生活費+学生に相応(ふさわ)しい研究費部分の合計である。
 2007年現在ならば先のベネッセの数値を参考にすれば、4年合計で1千万円程度となる。例えで言えば、国庫補助金部分として学生一人分240万円(国立・私立同額とし年平均60万円×4年)支給と教育ローン額4年合計760万円程度などとする。授業に直接関連しない大学附属研究所などは、一定の基準を条件に、上記の金とは別に国や都道府県から直に補助費として支給する。

 ローン希望者には親ではなく本人の意思により貸出しを行う。奨学金は廃止も含めて抜本的に検討し、病気・死亡などでローン支払不可能者の欠損部分に充当したり、ローン返還時の利率を抑えたりするために使用する(ただし物価スライド制は適用する)。また、ローンの返還期間は35年程度の長期とし、しかも定率の支払ではなく主として45歳~60歳頃に増額を行い、(若くて給与が安い頃と自分の子供の義務教育経費負担期間を考慮し)22歳~44歳頃は返還額は低く抑える。

 返還は厳しく行い、返還可能で返還しない場合は懲役刑を導入する。ただし、現在の如(ごと)くリストラの嵐の中で、返還できない事態などには、賦役(ふえき)で返還を要求する。
 要するに、既(すで)に述べた学校での補助教師として、あるいは多々あるボランティア活動の中から本人に向いている仕事を選択させ無料で奉仕させる(その場合でも交通費・食費支給と長靴などの雑費費用支給は不可欠である)。
 さらに、国民が有意義と認めるNGOなどに就職しかつ賃金が相当安価な場合などは返還免除措置(そち)を検討する。
 同様に、現在問題が多々(たた)ある消防団制度を廃止し、(本当に)自ら志願する形での地域密着型消防団員制度とし、そのときに団員になった場合などは一定の減額措置を講じる。現在の事実上、徴兵制度に等しい消防団制度から、本当の本人志願型消防団制度への変換をここで行う。

 減額や免税措置は、(私が奨学金を受けていた頃の)教師になれば返還無用型ではなく、消防団・地域の道作り・教育ボランティア・災害復旧活動専念員……などに就(つ)いた時点で行うべきである。当然、これから始まる裁判員制度に応じた場合や、検察審査会の審査員になった場合も同様である。
 返還期間中の死亡に際しては、そこで貸借(たいしゃく)関係は消滅とし、病気時も返還猶予(ゆうよ)若しくは免除などを検討する。
 {【2015年追記】裁判員制度は2009年から実施された。}

 ローンを借りるか借りないかは当然本人の自由である。しかし、本人ではなく親の収入などでその要件を決めてはならない。ただし、本人が社会人入学などで学生期間中に相当な収入・資産がある場合はローン対象とはしない。


 これにより大学はどう変わるか。

 ①親の収入・資産の有無と無関係に、本人の意思で大学に進学が可能となる。

 ②親に収入・資産があっても、スポンサーの親の意向で本人が志望大学を変更させられるという矛盾、即(すなわ)ち親からの不当な干渉もなくなる。
 ○○大学なら学費を出すが△△大学なら学費を出さない等の、本人の意向を無視した大学強要や、今日多々見られる、本人は芸術に関心があっても、親が医者ならば医学部へなどの不当な学部強要もなくなる。

 ③本人が自分の大借金で大学へ行くため、大学にその価値があるかどうかの検討をしだす。学問に真摯(しんし)な姿勢でない人間は馬鹿馬鹿しくなり、大学に見向きもせずに{かつて金がなく大学を諦(あきら)めていた・学問自体に興味のある}真摯(しんし)な姿勢の学生にその席を譲ることにもなる。家のローンに近い大借金をしてまで大学に行く気があるかどうか、である。

 ④学生が、大学の授業に関しての消費者意識を持ち、手抜き授業や休講への批判も生まれる。

 ⑤怠慢により、単位不認定で留年などとなった場合には、ローンや国庫支出金が一年間分不足することになり、自分で責任を取るという習慣もできる。

 ⑥こうした(有利子の)借金制度ならば貸付額を大きくできるため、奨学金などの額とは違い、本当に勉強のできる金額の貸与が可能となる。本当に勉強したい学生の場合には授業料全額・生活費全額・研究費全額の貸与(たいよ)がない限り学問は不可能である。

 ⑦ローン返還猶予(ゆうよ)及び免除制度は大学及び卒業後に社会に直(じか)に奉仕したり、社会に貢献する業績を上げたりして、それが国民に事実上還元されたときに年齢に拘(かか)わらずに借金から棒引きする形が適切である。
 例えば阪神大震災のボランティア活動に参加したならば何%免除とか。そうした積み重ねを行ったり、一部手弁当に近いNGOやNPO関連の仕事で専従となり年収が一定の基準以下の場合には返還免除したりするなど、国民が納得する業績や国民に還元する仕事{例えば無医村の過疎地で医師として生涯を捧(ささ)げる})した時点で、借金(ローン)からその分を引いたり返還免除してゆくことが望ましい。……

 
 ⑧国公立大学・省庁などが運営する一部の大学(校)群は医学部などを除き廃止することが望ましい。
 これだけ私立大学などがあり、何故国公立大を税金で維持するのか理解できない。しかも、金のない学生のためにはなっていない。授業料を1・5倍にしたときに、本当に困る人は、(困ったと言いながら実際には行かせている)東大生(*6)よりは、私大学生の方が遥(はる)かに多い。
 後者では、困るどころか断念する家は余りに多い。さらに、一般に、金のない人間ほど塾・家庭教師・予備校と無縁であり、参考書も買えずに、私大に行く傾向が強いため尚更(なおさら)である。
 私大では、学力が養成できないというのは欺瞞(ぎまん)である。米国の私大であるハーバード・エール・MIT・コロンビア・シカゴ・スタンフォード・ボストン大学等々を考えればよい。これらは全て私大である。
 日本でも実力主義組織では私立大の健闘が目立ってさえいる。まして、米国型大学を志向する日本では尚更である。国家公務員でも採用問題の方式を適正な形に変えれば同様である。
 その前に、国営大学でエリート養成などは、途上国・旧ソ連型社会主義国家・軍国主義国家(例・帝国大学)・名望家子弟用学校遺物群の話でしかない。
 オックスフォード・ケンブリッジ・パリ大学群・ボローニヤ大学などは公立ではあるが、日本の鎌倉時代に創設された経緯、{第2章で述べた英国の大学数は1990年以前は45校しかなく、最近漸(ようや)く百台であり、フランスの大学は2004年でも80という}大学数の少なさなどから、{4年生で700校超過、短大を含むと軽く千を超える大学のある}日本と同一視はできない。更(さら)に、オックスフォード大学では国庫補助を打ち切り、寄附金を含む自前の資金で運用する動きさえでてきつつある。
 こうした例を出すまでもなく、私個人としても、学生一人当たりの税支出額で、自分の出身大学の10倍以上を東大生・京大生用などへ回すような税金を支払いたくない。
 税である以上、学生一人当たりには平等な国庫補助金が今後の常識である。不愉快どころか社会への弊害でしかない。旧帝大中心システムを幾ら擁護しても、彼らが幾(いく)ら金儲(かねもう)けをしようとも・国会議員や官僚になろうとも、僅(わず)かな助成しかされていない私大と比較して、日本や世界への本当の貢献を十分していない以上、民主主義促進や貧者への貢献をしていない以上、特別優遇政策には憤(いきどお)りを感じるのみである。
 多額の税を投入された人間が、投入した人間にチッソや厚生労働省の幹部の如(ごと)く、酷(ひど)い仕打ちをするのでは対費用効果はない。……
 《以下続く→詳細は拙著『親方日の丸―第二部・親方日の丸と日本経済』(安らぎ文庫・Kindle等の電子書籍版)を参照されたい》

 

【追記。2015年6月9日解説】

上記は、拙著『親方日の丸―第二部・親方日の丸と日本経済』(安らぎ文庫、2015年8月18日発売予定)の「【付録・私案】―教育改革私案」からの引用である。

 某国会議員が、私のこの原稿をどこかで読んだのか、「この原稿に記してあることは既に実施されているよ、……」と言っていた。
 だが、それは2000年に入っての話である。私のこの原稿は下記のように1999年(下書きは1998年前後に書いていた。
 この教育改革私案は公表せずに、眠らせていたのであるが、いつの間にか、{どこかから漏れたの如く}、そのごく一部のみ実施されていた。
 しかし、私が「松茸は健康に良い」と言えば、誰かが「松茸のような物は健康に良い」と歪曲をされたことが多々あった。松茸のような物とは毒茸も含む。すると、意味が全く違ってくる。この教育改革論への私案も同様であった。そこで、1999年当時記した物を電子書籍で全面公開することにした。詳細は下記の電子書籍版を読んでいただきたい。

 

 なお、この浜田隆政教育改革私案の本質は以下のものであった。

「……第2節・高等教育国庫補助に関する私案
 【付録】の第2節は1999年執筆した内容である。この第2節だけは主要政党・政府機関へ送付していなかった。しかし、偶然の一致なのか、2004年4月日本学生支援機構発足以降、奨学金制度は第一種奨学金(無利子)と第二種奨学金(有利子)の二部制となり、私の提案していた国家主導ローン型に一見近づいてきているようにみえた。
 だが、私の案との大きな違いも相当あるため、今回一部加筆の上で全面公開する。なお、【付録】の第1節及び他の章の大半は、(第1章に記した関係で)1999年以降政府・主要政党などに数度送付した文書であり、付録の第3節は1998年以前から学生向けに全面公開している文書である。


 結論から記す。
 第一は、費用負担は高等教育を受けたい人間が、家計の都合で断念することのないシステムとする
 第二は、費用負担サイクル(従来の親が子の教育費、子は大人になり結婚し自分の子の教育費……)を変更し、高等教育の費用負担は本人(親は自分の過去の教育費用のツケを今日支払い、子も同様に働き盛り時に自分の教育費を支払い……)にすることである。
 第三は、国庫補助は、学校ではなく、学生本人に対して行うなど費用効率を高めることである。……」



 最初にこの原稿の土台を記したのが1998年頃であり、上記原稿を完成させ、出版を試みたのが2007年と2008年である。今回は、この原稿の誤字・脱字を修正し、電子書籍版にしたものから引用した。 現時点で発売が決まっているのはKindle版だけであるが、7月中にはKoboとも発売契約を結ぶ予定でいる。また、他の電子書籍を出版できる出版社とも交渉し、多数の出版社から電子書籍で発売予定でいる。他の本も同様である。 

 勿論、Paperで出版する希望がある出版社には喜んで応じる。他の本も同様である。 経済事情が許せば、自分で出版社起業も検討中でもある。

●国公立大学廃止論について誤解しないでいただきたい。詳細は『同上書』を参照。ただし、国公立大学全面廃止ではなく、次の三つは過渡的に残すべきと考えている。
 ①維持費が大変高い、医学部類、②収益の関係で民間が参入しない僻地(へきち)や地方都市、各種先端実験大学、③授業料を安くした上で夜間学部……である。


 現在の国公立大学政策は逆進税となっているとしか思えない。消費税などで弱者から金をとり、それらが教育費として、学生一人当たりでは、私大に対して何倍もの金が国公立大学に流れる。そして経済的弱者の子息は大学に行かないか、行っても私大が多い。東大始めとする旧帝国大学は日本の平均値よりも金持ちが行く。私大の平均と比較すれば明らかに家の所得は多いとなる。これは逆進税と同様である。英仏型と異なり、日本の大学数などは米国型である。よって米国では昔のニューヨーク州立大型以外は意味がないとなる。

【2015年6月14日追記】この文書掲載目的の一部を本日のTwitterに記載為たため、Twitterから抜粋する。

 

浜田隆政 (Takamasa) ‏@Takamasa_Hamada · 8 時間8 時間前
14-106-1。浜田隆政公式HPの案内
政経主張―8回(6/10)→教育改革浜田私案。1999年頃記述すると、いっとき、一部のみおかしな形で政策に反映。そこで情報公開が目的で当時の原稿の一部を公開。

 

 簡単に言えば情報公開である。この原稿の骨子を1998年に記したが、それが悪しき形で奨学金・教育ローン政策に反映されたため、本来の趣旨は違っていたことを明白にするための情報公開にすぎない。

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