【氏名】浜田隆政
(Takamasa Hamada)

◎1952年生誕。主要な経歴は以下の通りである。

学歴・職歴等

年月日 経歴
1975 関西学院大学法学部卒業
1980 早稲田大学大学院政治学研究科修了
1983 ポリテクカレッジ岡山非常勤講師
1998 著述業

 


 
  • ●一九八一年岡山県の私立高校講師、八二年からは駿台予備学校などの大手予備学校の教壇に十余年立ち、併行して八三年からはポリテックカレッジ岡山(現・能開大中国)の講師を十五年勤める。最後の大学校において、恐るべき労基法違反被害に遭遇し、九八年からは自宅療養、その後社会復帰 を目指す。
  • ●その間の経過は拙著『閉じた窓にも日は昇る』に掲載している。なお、大学校は旧労働省系(現・厚生労働省系)大学校であり、そこで受けた労基法違反の被害の凄まじさは『恐るべき労基法違反』に記載している。
  • ★他方において、不可思議な状況下で、私の意に拘わらず政治経済に大きな影響を与えたかもしれない。それらを記したのが拙著『日本のフィクサー〝ME〟』と『真相・2013年』などである。
  • ●なお、福武書店・ベネッセ・駿台文庫などで模試作成・模試監修・模試チェックなどの原稿面の仕事も長期行っていたが、この十年余りは、そうした受験産業とは無縁の生活をしている。

 

★田舎のおっさんの私にも拘(かか)わらず、何故か偽物が横行している。そこで、私の特徴と影よりは分かり易い写真を掲載します  
①【顔類】苦労したせいで、髪の毛はあまりありません。谷村新司を連想ください。
②【体―1】足は写真の如く長くありません。そこで撮影時に長くみせる試みをしてみました。
③【体―2】身長169センチ、体重68kg(人生の大半が63kgのため、再度63kg目標)。筋肉質。鍛えていました。

※写真は2014年、瀬戸田の平山郁夫美術館前にて自分で撮影。(撮影技法→脚を長く見せる技法?)
 

 

 

  • 【自己紹介】
  • 【自己紹介の理由】
    ●注意!!!→私の偽物多数出現中。
    ●不可思議な形でトラブル→友人「人間違いが原因」
    ●インタネット→(類似を装った)私の事実上の偽サイト類多数出現本→同一発売日に同姓同名人物(漢字も同一)が5千円の本発売。
     ★よって、個人情報を少し流す。
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  • 【家族】
    祖父=学校教師、父=学校教師。長姉=死亡。次姉=学校教師。私=学校教師。
    男兄弟はいない。
  • 異性について
    結婚歴皆無。
    希望の伴侶=人種・国籍・学歴問わず。優しい人。

    憲法14条=「人種、信条、性別、社会的身分又は門地により…、差別されない」大賛成。結婚相手も同観点から(ただし、私の場合に関しては結婚相手は女性に限定。
    「他の方は同性・異性、各人ご自由に」の立場)。

     女性に自分から電話する甲斐(かい)性がない。
     中学・高校時代は男性友達が多く、大学時代は女性友達も多い。安全パイと思われていた。
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  • 【学校】苦学生の道。
  •  父親四十才のときの子どもであり、また父親が病気で教師を辞めたため苦学生。

     大学時代の親からの仕送り最高額は月に15000円。奨学金は5000円。ただし、大学3年や4年生時は本代などの研究費が毎月2万円余りのため、研究費以外の生活費は自分で稼いでいた。大学時代の学費は当初半額免除で年4万円余りであったが、後に、大学紛争という名の学問の自由破壊行為被害のため申請不可能となった。私は非暴力主義。

     大学院時代は仕送りは零円であった。帰省費も含めて自活。大学院時代の研究費は月平均4万円余り。倹約し、交通手段は中古の自転車、食事は自炊中心(米6:麦4).
     大学院時代の奨学金は月3万円台であった記憶があるが、全て文献購入などの研究費に消えた。衣食住は全てバイトでまかなった。あんなにバイトをしていたならば研究はできないと言われたが、本当にその通りであった。
    ※(2019/05/01追記)オーバー修士時代は奨学金0円、家からの仕送り0円。が他の人と異なり、文献購入等の研究費は月3~4万円必要。また、大学院は社会人入学ではなく、正規入学のため、大変厳しい。京都大学法学部から早大院に進学した人は今日も徹夜かと嘆いていた。研究はほぼ不可能に近かった。

     それでも、岡短講師時代よりは、大学・大学院時代の方がはるかに経済的には楽であった。岡短時代がいかにひどかったかは、拙著『恐るべき労基法違反』(次年度以降出版)を出版すれば分かるであろう。
     読書類は、事実上、大学入学後から開始
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  • 【主義・思想】
     ①党派中立・宗派中立宣言(主要政党に書留で送付済み)
    30年以上どの組織にも所属していない。

     ②国=私→Cosmopolitan(世界市民)

     ③主義=非暴力主義。多様な価値を尊重(ジョンスチュアート・ミルの『自由論』の影響を受ける)

     ④憲法9条は擁護派→世界の平和的生存権のさきがけ。
    日本の安全は、将来は世界連邦で、当面は国連改革により国連中心外交で守るという立場。
    ただし、既述の如く、多様な価値観を尊重。
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  • 【性格及び趣味など】
    ①優しいが、多少頑固。はっきりと物を言うことも結構ある。国内よりも外国向けの性格。

    ②趣味=格闘技系のスポーツ(球類は苦手)、読書、水泳、カメラ、PC等。

    ③好きな人物=シュバイツァー、キング牧師。

    ④好きな書物=To kill a mockingbird(『アラバマ物語』)

    ⑤興味を持っていた国内の社会科学者→都留重人・大塚久雄・丸山真男

    ⑥アルコールは強いかも知れないが、現在は、Fieldwork時以外は原則として飲まない。
    煙草は生まれてすったことなし。マージャンもしたことなし。(ただし、パチンコははやい。書けば問題があるため、後日、『徒然なるままに』で記す。ここ30年はパチンコはしていない)
    ※喫茶店に一人で入ったのは22才か25才の頃か。
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  • 【容姿】
    ①髪→苦労したせいで余りない(谷村新司に似ているかも)

    ②今一番したいこと→腕立て伏せ・腹筋・スクワット・ブリッジの再開。

    ③影よりはましな、写真を右上に一枚掲載。
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  • 【スポーツ・勉学】(2019/05/14記述)
    ①格闘技系は素質あるが、球技系は今一つ。短距離走などは足が遅い=陸上類は駄目。
    腕力系だけ強く、体は極端に柔軟=格闘技系。

    ②勉学→中学時などは普通か。良い方ではない。
    小学校・中学校時→勉学に価値を見いださず。
    文献による勉学は大学進学後18才から。
    責任感が強く、凝り性→仕事として教壇に立てば→その種の能力は否応(いやおう)なしにつく。単なる仕事。

 

  • 【党派・宗派中立宣言と実施】(1981年:明確化は1985年~)
  • 政経面では、1985年頃軽い党派中立宣言、最低でも萌芽。結果は1981年か82年頃から今日(2019/05/02)現在まで、事実上そうなっている。

    政経講師にも拘(かか)わらず、1981・4月以降全政党の機関紙誌類は購読せず。

    ただし、授業を求めて1983年水俣へ(現地では熊本・水俣ともに知人類は皆無)。良かったので、1985年夏に一人で広島へ。そこで個人で原水爆禁止大会(知人類は皆無)に参加。所が、何人かと会話中に岡山駅行き貸切り列車があると言われ、誘われ、同乗。そのときの名簿を見て、赤旗日曜版を取ってほしいと言われ、同誌の見本をみて、経済解説が政経授業の参考になるかと思い、1987年末か88年1月駿台辞職迄購読。ただし日曜版のみで本紙は購読せず。

    党派中立は1987秋~89年末にも、(弁護士門前払い事件・救済依頼無視・病院問題…)で感情面も徹底化する。完璧に党派中立となる。現時点で考えると誰かがデマ類吹聴(ふいちょう)か、真実での問題かは不明。

    ただし、模試チェック参考用に、知人から勧められたのを契機に、94年前後から模試チェックをやめる2002年頃までは、赤旗日曜版のみは父の名で購読(本紙は購読していない)。模試チェック中止後は購読中止。同様に朝日新聞も後に購読中止とした。模試チェックが主目的であったことと金欠問題からである。

    1999年~2000年救済依頼文書を全政党に送付時、筋から、今後は積極的党派中立宣言の本格公言と実施開始する。(依頼書には原則全て党派中立・宗派中立を明記で全主要政党に書留送付。)

    諸問題の有無を置き、拙著『旅に心を求めて・不条理編(上)』第二章に掲載した理由が本質的土台にある。(大学紛争時の組織的集団正当防衛権問題)。

    党派中立が長いため、もはや、政経全体の政策・方針はどの政党とも異なる、オリジナルとなっている。これらは徐々に『日本のフィクサーMEシリーズ』で紹介しよう。経緯抜きでも(政治・経済・国際政治秩序・国際経済秩序・風俗のイドラ等のオリジナル)理論のみで、党派中立・宗派中立は理解できよう。


    尚、友人の出現は1987年から完全遮断されている。するとトラブル時に相談できるのは昔の友。それの典型例が1998年岡短辞職時での、雇用促進事業団・厚生労働省との交渉の相談の件である。

    立会人等は、新しい知人がいないため、昔の知人類しかいない。
    第一候補→高校二年時の担任・内田喬先生(高教祖・岡山県委員長)=癌で断られる。
    第二候補→食堂で知り合った岡映氏=脚が悪いで断られる。
    第三候補→上記の1976年4月の項にある新免昌和町議(日本共産党)となった。立会人依頼時の契約は既に公開済み。必要時に再度公開。

    相談した弁護士も、新しい友の出現を遮断され、早大時代の親友の神田高君となった。彼が東京でも。

    途中から新しい友人類の出現を止められているため、昔の知人・友人に頼むしかなくなっただけである。しかし、後のバーチャル世界での知人類は多岐に及ぶ。小泉純一郎(当時の自民党総裁)、菅直人、野田佳彦(両者ともに民主党代表)、…ミスター・オバマへと続く。

    知人となれば、星野仙一氏や王貞治氏…、格闘技関連者、スポーツマン・歌手・その他膨大な人がおり、彼らの思想などは知らぬし、どうでもよい。

    同時に、私の理論(政経分析・政策・指針類…)を今後見てゆけば、バーチャルの友とも一部違う、オリジナル理論であり、その内容をいずれ見れば分かろう

    本年、昔の友人・親友諸君に「党派中立・宗派中立宣言」を告知しておこう。詳細はHPを見てくれと。
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  • (2019/05/08追記)大学4年間(1971~1975年3月)の自治会民主化運動時代に「赤旗」を購読していないのは本当?本当。赤旗どころか、赤旗日曜版すら購読していない可能性が高い。

    民主主義・大衆運動関連で、私の身の周りでは半分か2/3が購読していなかったように思うが、私は詳細は知る術(すべ)もない。他人のことは知らない。私は、閲覧や不定期に見ることも、卒論時以外は見ていない。
    もっとも自治会関連の新聞は当時購読。

    雑誌『経済』や『世界政治資料』等は数ヶ月に一度購入していた可能性が高い。日曜版も数ヶ月程度購読したか、一切購読しなかったかよく覚えていない。日刊紙は購読していなかった事は鮮明に覚えている。

    ただし、卒論時には、(各地の)図書館などで主要政党全部の機関紙誌に目を通したと思う。

    なお、1975年途中から約5年余り日刊紙を購読した覚えがある。それ以外は日刊紙購読は一切していない。
    政治学専門家としては自慢の逆でしかない。
  • 【党派中立への歩み】(2019/05/14記述)
    ①結果として1982年から今日迄党派中立。

    ②1984~86年の間=萌芽的な形での党派中立言明(言葉にしての表明)

    ③心情的には1987~89年の諸事件契機に固まる。
    土台は大学時代の学園紛争での組織的・計画的正当防衛権のあり方で、私は特定組織には属さない決心。{③の内容→拙著『旅に心を求めて―不条理編・上』(Kindle、KOBO各百円)の第二章に詳細記述}。

    ④文書での明記→1994年『戦争と平和と人間に思う』で記述。(関連文=プリントで短大等の全学生に配付)

    契約的党派中立→1999年救済文書を主要政党に書留送付時に明記。完全確定。契約事項なのです。(小渕恵三・小泉純一郎・菅直人・神崎武法・不破哲三・土井たか子等1999~2010年の間に延べ百人に書留送付。契約事項)
    よって、全政党とも私の人権回復に尽力を。一種の契約事項。今日まで実践。

    ⑥「機構」交渉立会人依頼を新免昌和氏に依頼した経緯は既述。
    双方の契約→
    私「党派中立のため選挙類の応援は不可能。ただし、新免氏が私のために汗を流した分だけ、引っ越し類などの手伝いで相殺したい」
    新免氏「それには及ばない。地元の町・市(郷土)に貢献してもらえばよい」
    成功報酬型で考え、問題解決後は約束遵守予定。
    各種文書で2000年頃から何度も公開済み。

  • 【家族】
    母は冠婚葬祭で㊗を重視していた。
    今や、家制度・村落共同体社会崩壊で、不必要なレベルまでしていた。
    母が古いこと。
    もう一つの理由、母は父の妻死亡後の父の再婚相手のようで、村に馴染むための努力だった可能性が高い。

    尚、私が上記の話をしないのは、甥・姪等が知らぬときには正式な場で丁寧にのためであった。他人の挑発に乗り喋る話ではないからである。
    家間違い・人間違いで私の母親と他人の母間違いからの私の人間違いも警戒して一部記した。
    母の件は、後日記そう。


    祖母の話は拙著「木漏れ日人生」に曾祖母の介護・祖父の介護・同居の伯母の介護…を掲載している。
  • 同時に冠婚葬祭論のあるべき姿も後日記そう。
    行き過ぎた冠婚葬祭や、現代社会にマッチしない㊗等冠婚葬祭は、村・親戚の人間関係を壊す危険性などもそのときに記そう。冠婚葬祭の移り変わりも。今、大抵の社会でしないことを誤解から我が村で…も。