政経提言―5(正確には激論)小泉総理の靖国参拝を巡って
―拙著『日本のフィクサーME・上巻』第3章第9節より抜粋。ポイントは下記に記載。
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「僕が言ったのは、靖国参拝の是非(ぜひ)は今は棚上げして、総理として国益を優先すべきではないか、とまず軽くジャブを打ったんだ。要するに、日中関係、日韓関係で総理の行動で気まずくなるとすれば、これは国益に反するのではないか、と。
中国、コリアンに進出した日本企業がバッシングされる危険性も出てくる。また海外進出をしている企業内で社員同士(日本の社員と現地社員と)のいがみ合いの原因ともなる。日本企業にとっては、企業によるけれども、大変苦境に立たされる危険がある。こうしたことを言ったんだ。でも小泉氏は意に介さなかったよ」
……
『日本の顔は二人いる。一人は天皇であり、もう一人は総理大臣である。その二人が違う行動を取ったならば、どうなるか。宮田メモによれば、昭和天皇は、A級戦犯が靖国に合祀(ごうし)されてからは、それに怒り、一度も靖国に親拝されていないという。他方でもう一人の日本の顔である総理が靖国に参拝したならばどうなるか。
両者とも、日本を代表しているのであり、小泉純一郎個人ではなく、日本のシンボルが靖国に参るとなれば、世界は日本がA級戦犯が合祀されている場所へ終戦記念日に参っているとみる。特に、日本の被害にあった中国、コリアンの感情を逆撫(さかな)ですることになる。同時に靖国A級戦犯合祀問題に関して、天皇と総理は対立した感情を持っていることの意思表示ともなる。
兎(と)も角(かく)、日本の顔の一人である天皇が参拝をしないのに、もう一人の顔の総理が参拝すると日本の意志は分裂していることを世界に表明したことになる。そこで、総理の間だけは靖国参拝はすべきではない。中国、コリアンなどとの関係上からの国益面からも、総理の間だけは止(や)めた方がよい』
こういう調子でね。ひょっとしたら次のことも言ったかもしれない。
『第一、総理の間に靖国参拝をするならば、それは昭和天皇が靖国参拝を止めたことへの批判になるのではないか』、と。
ちょっと、言い過ぎかとも思ったが、何が何でも総理の靖国参拝を止(や)めさせたかったんだ。従来の総理のときにはそこまでは言っていないよ。小泉純一郎氏とはTVとはいえ、腐れ縁ができていたので、本当に彼の立場を心配して言った面もあるんだ。単なる批判ではなく、天敵とはいえ、まあ喧嘩友達ってとこかな。大相撲だってあるだろ。自分のライバルを倒すために必死だよ。相手を蹴落とさねば自分が死ぬってね。だけど、ライバルが重傷を負ったときなどに、そっと電話をしてどこどこの病院が良いなどとアドバイスをするときがあるという話をよく聞くことがある。今、問題となっている八百長とは違う。これが本来のライバルなんだ。勿論、日本にとってもマイナスとなるし、懸命に止めたんだ」
「で、小泉総理はどう言ったの」
「彼は何とも言えない雰囲気で言った。
『どうして駄目(だめ)なんだ。心の問題ではないか。どうして日本のため戦争で亡くなった人に哀悼(あいとう)の意(い)を捧(ささ)げに行くことが駄目なんだ。これは僕の心の問題なんだ』
確かそういうことを心の底から言っていたと思うよ。みんなを逆に必死に説得しようとしていたみたいだったね。だけど、僕は言ったんだ。
『兎(と)に角(かく)、今は小泉純一郎は小泉純一郎自身は半分で後は日本の顔なんだ。だから、総理を辞めた後で行くんだったら行けばよい。それに、もし自民党総裁として行くんだったら、まだここまでは言わない。自民党総裁は自民党の総裁でしかない。だけど総理は自民党総裁ではないんだ。日本の顔なんだ。憲法は天皇は国民統合のシンボルと書いているけれど、実質的には総理も対外的には日本の顔なんだ。だから、ともかく総理を辞めるまでは我慢してほしい。総理を辞めた後ならば、私は何も言わないし、諸外国も何も言わないと思う』、と。でも駄目だったね。
もっとも、彼が靖国参拝に固執したのは、信条からだけではなかったと思う。彼が靖国参拝を公約で言っていたので、重要な公約は絶対に守らなければならないというような面もあったようにも思えたよ」
私は戦犯裁判を必ずしも正しいと思ってはいないため、とっさの小泉首相の叫びに、より説得力のある引き留め工作はできなかった。冷静になった今ならば、次のように言うであろう。
昭和天皇は、戦前は絶対的なものであり、当時の軍人・政治家の中心人物は全員知っていたはずである。ただ、天皇は多くの秘密を胸に秘めたまま崩御(ほうぎょ)された。それらは全て歴史の闇(やみ)の中にある。だが、天皇の言葉「私は或るときに、A級が合祀され その上松岡、白取までもが 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが 松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と 松平は平和に強い考えがあったと思うのに 親の心子知らずと思っている だから
私あれ以来参拝していない それが私の心だ」(富田(とみた)メモより・同メモには〝白鳥〟ではなく〝白取〟と記載あり)から判断すると、戦争に関して彼らに何か問題があった可能性が高い。
松岡洋右(元外務大臣)、白鳥敏夫(元駐イタリア大使)に何があったか、について私は知らないが、昭和天皇は戦争問題で彼らに何かあったことを胸の内に秘め崩御された。その理由は不明であるが、彼らについて熟知していた昭和天皇が靖国神社参拝を止めた以上、ここは昭和天皇を信じて、日本の為政者、少なくとも日本の総理は靖国参拝を控えるのが筋ではなかろうか。平和のために参ってはならぬ何かがあったのではないか、と言えば良かったと今は思っている。宮田メモに関しての受け取り方は様々であるが、天皇が松岡洋右がヒトラーに取り込まれたと感じ、嫌っていたことなどが幾(いく)つかの書物に書かれている。また、宮田メモ解釈として、A級戦犯が靖国に祭られてから天皇が靖国参拝を止(や)めたことは事実だと思う。
「ところで、最初にボンが世間から批判されるのを覚悟で言ったというけど、それを言ったら、どうして世間から批判されるの。まともなことを言っているじゃない」
「僕のような形で説得すれば、今度は当然左翼から攻撃を受けるよ。昭和天皇を美化している、とね。左翼の一部は言うだろう。『戦争責任の重要な一人である昭和天皇を恰(あたか)も平和主義者の如く、君は言ったと』、ね。
でも、もうこちらもなりふり構ってはいられなかったんだ。とにかく、結果として小泉純一郎総理の靖国参拝を中止させる。それのみで必死だったんだ」
「ところで、小泉純一郎に思い込みがあるようだけど、本当なの」
「いや、彼からは何一つ、僕は恩恵(おんけい)は受けていない。だから言っただろ。天敵だ」
この点がなかなか人には理解されないので、少し詳しく解説をする。まず、私は党派中立を宣言しているため、どの政党に対しても、(国民全体にとって)重要なことや政経上の諮問に関しては、時間があれば平等に回答している。次に小泉純一郎氏は味方か敵かと言えば、政策的には敵とも言える。
しかし、泥棒を見つけて、その泥棒と戦っているのではない。民主主義の土俵の上で、主義主張の戦いなのである。だから、鎌倉時代の戦い以上に塩を送ることはある。鎌倉時代の戦(いくさ)を思い出していただきたい。命懸けの戦いでもルールがあり、戦いの中でも双方に友情すらあった。知っての通り、戦う前にはまず自己紹介をする。「我こそは△△の□□である」、と。相手も同様。そして一定の合図から死闘は始まった。更に長引けば、途中で双方合意で休憩をすることもあった。そして、再度、殺し合いを双方で開始する。というのは双方ともお互いに憎しみはない。ただ大義のために双方戦っているだけなのである。小泉純一郎氏とはそういう戦いをしていたんだ。だけど他人には理解できなかったようだ。ちょうど元寇(げんこう)のときと同様である。
布袋さんが「元寇のときと同じとは」、と尋ねてきたので歴史の解説をする羽目となった。日本人というのは、大義の下で戦をしているから、戦いにルールがある。だが、元の軍隊にはそれがなかった。だから、日本の武士が「われこそは……」と挨拶(あいさつ)している間に弓などで何人も殺され、当初は戦いがちぐはぐだった、と言われている。そういう意味で、僕と小泉氏とは一部が一致しているとしても、大半が対立していたけれども、他人には理解されなかった。典型的なのが既(すで)に言った大和田漠の例だ。こうした鎌倉時代の戦いのルールに基づいたような形で戦っているから、他人からは僕と小泉氏とは友好関係に見えたんだろう。人間小泉純一郎が憎い訳がない。だけど政策は違う所が多かった。だから、戦いなんだ。
でも僕だけではない。菅直人氏と小泉純一郎氏とは政策的に本来天敵である。だけど、小泉氏は菅直人氏を気に入っていたと思う。菅直人氏が質問しているとき、時には小泉氏はムキになるけど、その後でふと気が緩みニッコリ笑い、「菅さん、菅さんもよく言うね」と、何とも言えない笑みを浮かべたときがあった。菅さんもそれに気づかない振りをしていたけど、本当は気づいていたと思う。だから当時の菅直人氏の政策では小泉純一郎と全く違っていたけど、人間小泉純一郎にはそう悪い感じを持っていなかったと思う。……