エッセイ・写真―3回・「教師と子どもの碑」を前に命に想う

 

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四年度夏、原爆の子の像を求め鈍行で広島・平和公園に行く。 そして、教師と子の像の前で立ち尽くし、次のようなことを思った。

特にすぐれてもおらず、
    子供にも好かれているわけでもない教師がいる
そして、優秀でもなく
  特に教師に好かれてもいない生徒がいる
  それが、原爆の瞬間には
    自然とその子供を抱いている教師の姿である。
この像の意図は私の想いとは無関係であろう。
   だが、ふとそう考えたのである。
 どの教師も、(すべての教師が無意識に持つ)
     何かへの思いを持って教師にならんとする。
 どの生徒も本質的には
    何かを学ばんとして学校に来る
 それが、今日のように不協和音をたてるのは何故だろうか。
 同様に、幼い子は本能的に善なるものを求め、
     親も子にそれを求める。
だが、一人の親は原爆をつくり、一人の親はそれを使用し、
  一人の親はそれを使用するように指示すらした。
 そして、原爆に苦しんだ人達、今も苦しんでいる人達がいる。
その像が、想いがここ広島平和公園にはいくつも存在する。
             (九四年七月十九日・浜田記す)

『旅に心を求めて・不条理編』第2章・広島への旅
 ―「原爆の子の像」と「教師と子の像」を前に命を想う、より。

 

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【●全体解説】

(1)拙著『旅に心を求めて・不条理編(上)』普及用チラシより引用。

 第二章広島への旅―……命に想う。
 一九九四年、勤務先の大学校と予備校の教材を作成するため、「原爆の子の像」を求めて、広島へ行く。そこで「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」に出会う。
 この碑の前で、女子高校教師時代が脳裏をよぎった。私は純粋に生徒に勉学を必死に教えたいと願っていた。他方、生徒は本当の勉学に飢え、同時に教師への潜在的愛着を持っていた。もし、この両者がどこかで出会えば良き友・学友・学兄妹(きょうだい)となれたであろう。だが教壇・学校という場で出会えば対立が起こることが多々あった。この碑の前で上の一文を記した。

 

(2)【資料】原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑(引用先HPは以下のアドレス)、http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/tour/ireihi/tour_33.html

建立年月日1971(昭和46)年8月4日
建立者 原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑建設委員会
制作者 芥川永ひさし(当時・比治山女子短大教授)
建立の目的→原爆によって生命を奪われた子どもと教師を慰めるとともに、「三たび原爆を許してはいけない」という平和教育を、現在及び未来に推し進める決意を表す。

銘文「太き骨は先生ならむ そのそばに ちいさきあたまの骨 あつまれり」(正(しょう)田(だ)篠(しの)枝(え))
 ……この短歌は、1946(昭和21)年に被爆歌人正田篠枝さんが占領軍の目をさけ、広島刑務所の印刷部で秘密出版した歌集「さんげ」からとられたものです。原爆の劫火の中で、教師を頼りながら死んでいった児童・生徒と、彼らを気遣いながら死んでいった教師の無念さを表現しています。
……1938(昭和13)年国家総動員法により、学校も戦争体制になりました。1941(昭和16)年の国民学校令により呼び名も国民学校と変わり、現在の小学校にあたる初等科(6年制)と、中学校にあたる高等科(2年制)がありました。
戦争が激しくなると、都市部の初等科の3年生以上の児童は空襲を避けるため田舎へ強制的に疎開させられました。
幼いため親元に残された1・2年生と、建物疎開作業に従事させられた高等科の生徒が原爆の犠牲になりました。(この頃の夏休みは、8月10日から20日まででした。犠牲となった国民学校教師・子どもの数、正確にはわかりませんが、教師約200人、子ども約2,000人と推定されています。……8月4日の慰霊祭」


(3)備考(浜田が記す)

 第3回は『戦争と平和と歴史に想う』掲載予定であったが、『旅に心を求めて・不条理編(上)』の第二章・「『原爆の子の像』と『教師と子の碑』を前に命に想う」に変更した。前者も広島編であるが、こちらは拙著『生命への畏敬・Reverence for Life』(未完)に収録している。関連写真ギャラリー展(写真40枚ほど使用)は、別HPをたてて、近々開催予定である。日程が決まり次第、このHPでも大きく案内を出す。ごく一部の骨格はFacebook、Google+に2014年12月に掲載している。

 なお、今回掲示の上の写真はカメラを開始する以前に、フィルム式コンパクトカメラで1994年夏に写したもの。その後、一眼レフカメラで何度も撮り直したが、これを上回る物は撮れなかった。何度も記したが仏像や彫像は角度が問題であり、角度が一度違っても印象は違う。ある意味では撮り直しがきかぬ時もある。