エッセイ・写真―2回・「偶成」



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 年賀状作製途中に、ふと一休宗純が脳裏をよぎり、郷里・岡山県北の墓の写真と朱熹の『偶成』をここに記す。
 応仁の乱の少し前、後の俗称〝一休さん〟こと、一休宗純は元旦に杖の先に骸骨を下げ堺の街中(まちなか)を歩いたという。それは、後の西洋の実存主義と同一の想いからであろうか。彼は言う。
 「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」

 


  偶成 朱熹

少年老い易く 学成り難し

一寸の光陰 軽んずべからず

池塘の春草の夢 未だ覚めやらずして

階前の梧葉 すでに秋声

【写真・タイトル】『日本の墓』
    『Japanese Cemetery』
 場所・山あいの村にある墓を見てふと撮影

 

■2015年元旦、墓の写真を掲示する!

【掲載目的】

正月、何がめでたいのか。
写真の如く、また棺桶(かんおけ)・墓場に近づいただけなのだ。
一年。新しい一年。それが百回来れば百歳となる。
つまり百歳に一歩近づいただけなのだ。

映画『ローマの休日』アン王女の一日と、私の一日は同じだろうか。
あの充実した一日は私の百日に値する。
あの充実した一日を百回送れば百歳で一万年生きたことになる。
これが、本当の長寿也(なり)。

その逆も然(しか)り。
怠惰な日々の百日がアン王女の一日と同じならば、
百歳まで生きても、アン王女の一年余りでしかない。
これを短命と言う。

充実した日々を送るには自分の持っている物を一度捨ててみよう。
一月後、目が見えなくなると考えてみよう。
一月後、耳が聞こえなくなると考えてみよう。
一月後、足がなくなると考えてみよう。
一月後、手がなくなると考えてみよう。
一月後、いきなり百歳になると考えてみよう。
一月後、死ぬと考えてみよう。

死を無限の彼方(かなた)に遠ざけず。
正月に墓を見れば目が覚めるであろう。
ならば、生きている今の内にせねばならぬことを思い出そう。
一ヶ月後に死ぬと思い、昨日・今日・明日を生きねば。
そうすれば充実した日々が送れるだろう。

勉学も集中するのみか、本当にすべき勉学をせねば!

 ※そこで、この作品を2015年1月1日掲載することにした。

【●全体解説】

【読み】

偶成(ぐうせい) 朱熹(しゅき)


少年(しょうねん) 老(お)い易(やす)く 学(がく)成(な)り難(がた)し

一寸(いっすん)の光陰(こういん) 軽(かろ)んずべからず

池塘(ちとう)の春草(しゅんそう)の夢

未(いま)だ覚(さ)めやらずして

階前(かいぜん)の梧葉(ごよう) すでに秋声(しゅうせい)

 

【原文】

少年易老学難成
一寸光陰不可軽
未覚池塘春草夢
階前梧葉已秋声

 

【意味】(「詩吟かるた」さんのHPから引用)

少年は老い易く学問成就は難しい。故に少しの時間でもおろそかにしてはいけない。ちょうど池の堤に春の草花が芽吹くのを見とれているうちに、橋の前の青桐の葉が秋風にそよぐのを見るように、月日のたつ速さを知るべし。

 

【備考】

 写真は2000年にフィルム式カメラで撮影したものである。今回の写真はデジタル化が難しく、本当に撮れたものとはかなり差がある。
 ただ、墓の下から上を見上げたときに、朱熹の偶成が脳裏をよぎったので、写真と朱熹の偶成を組み合わせ、最後に私のコメントを掲載した。

 (2015年1月2日)写真を別のレタッチ版と変更。